元気のもとはつながる仲間

本書は、2006年12月の「教育基本法」全面改訂に象徴される教育の大転換期にあった四年間に、雑誌『解放教育』に連載した論稿をまとめたものである。
この連載は、表題の通り各地で「部落問題の解決を自らの生き方の課題」として地道な実践を積み上げている「仲間たちの姿」を紹介することが基軸であったが、その姿は時々に打ち出された教育政策と無関係ではあり得なかった。したがって、本書は「戦後の民主教育」「同和教育」が激しく揺さぶられる中、押しつぶされそうになりながらも、それでも「子どもたちの未来を保障するため」に踏ん張ってきた仲間たちの記録であり、同時に「崩れゆく教育」を私たちの側から、真に再構築していくために、何ができるのか、何をしなければならないのかを考えてきた記録でもある。
その答えは、まだ明確には見出せていない。だからこそ、「押し返す力」を生み出すために、ここに登場してくださった総勢100人以上の仲間たちの姿から、改めて「元気のもととなる書」となれば幸いである。

A5判 268ページ
頒価 1575円

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金泰九著『在日朝鮮人ハンセン病回復者として生きる わが八十歳に乾杯』

今年の年3月のある晩、寝付かれぬまま思いに耽っていて、ふと、「何かを書いてみよう」という思いに駆られると、妙なことに「題」まで頭に浮かぶのでした。
「わが八十歳に乾杯」と。
これまでにも、知人から、書くことを勧められたこともありましたが、「恥をかくようで」と言っては逃げていました。ところが八十歳になって初めてその気になったのだから、八十歳は私にとっては、ある意味での限界を感じさせる年齢であったのかもしれません。
十二歳のおり、日本に来て、もう早や在日生活六十九年が過ぎました。六十九年の内、長島愛生園生活五十余年、人生の大半を療養所で過ごしました。療養所の中の生活は、いわば、国から与えられた生活であるだけに、競争社会の厳しい生活苦の経験は、あまりありません。
競争社会で生ずる「他人を蹴落としてでも…」という厳しさがない分「お人よし」なのか、とも思います。文章にも随所にそのような社会性の足りなさが散見されると思いますが、杞憂であれば幸いです。
しかし、そんな拙い文章ですが、二十世紀から二十一世紀への激動の時代を、この日本という国において、在日朝鮮人ハンセン病回復者として生きた一人の人間の生きざまをお読みいただければ、このうえない幸せに思います。

「はじめに」より抜粋

B6判 334ページ
頒価 1680円

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NPO人権ネットワーク・ウェーブ21編『むこうにみえるはvol.4 第3回シンポジウム「人口の流入出問題から見た被差別部落のこれからのまちづくり -改進地区のまちづくりへの提案-」』

NPO人権ネットワーク・ウェーブ21は、2002年に「被差別部落の人口の流入出をどうとらえるか」というテーマで、2003年には「被差別部落のこれからを人口の流入出から考える」というテーマでシンポジウムを開催してきました。この2回のシンポジウムによって、改進地区をはじめとした多くの京都市内の被差別部落が、大幅な人口の減少、高齢化と貧困化が進行していることの現状と、なぜそうなるのかがある程度解明できたと考えています。

そして、この状態をなにもせずに放置しておけば、どのような結果を招くかを予測することもできました。その予測は、部落問題の解決にはかなり悲観的なものであり、部落解放運動や同和行政が積みあげてきた成果をも崩していくのではないかというものでありました。

2回にわたるシンポジウムを踏まえ、NPO人権ネットワーク・ウェーブ21としてはどうすべきなのかを検討してきました。その結果は、たとえ未熟であっても、私たちなりの考えをまとめ、それをもとに運動関係者、行政関係者、研究者などの方々に討議をしていただき、これからの方向性を打ち出し、とりくみをつなげていくというものでした。

幸いその思いは各関係者のご理解をいただくことができ、運動関係者、行政関係者、研究者の方々の参加をいただき、NPO人権ネットワーク・ウェーブ21の『改進地区のまちづくりへの提案』をもとにしたシンポジウム「人口の流入出門代から見た被差別部落のこれからのまちづくり」を2004年12月4日に開催することができました。このシンポジウムで、各自が持っている問題意識はある程度明らかになりましたが、それを共通認識として新たなとりくみを展開していくという方向性を打ち出すことができませんでした。

それは時間的な問題もあったと思いますが、弱者切り捨て「構造改革」が急激に進む中、政治的、施策敵制約の方が強かったからではないかと考えています。しかし歴史を逆行させるわけには生きません。このシンポジウムから得た成果を、明日に引き継いでいきたいと考えています

「発刊にあたって」より

A4判 38ページ
頒価 1000円

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下之庄歴史研究会編「部落史観は転換したか -現在と未来を問う-」

部落史に学ぼうとする人たちの必読文献です。部落史については、いまだ教科書にも、貧困・低位性論と悲惨史観が幅をきかせています。そのような見方がいまよりもさらに大勢を占めていた時代から、下之庄歴史研究会は、部落史観の転換を提唱してきました。地元の資料発掘から始まって、それまでの部落史を批判して新たな見方を提示し、その活動はすでに四半世紀を過ぎています。本書は、設立30周年を迎えた自主的民間研究団体が開催したシンポジウムの記録です。奈良県における下之庄歴史研究会の<持続する志>を賞賛したいと思います。
内容は、下之庄歴史研究会の代表である上野茂さんの報告「部落史認識の再構築に向けて」から始まり、西日本からは九州・福岡県人権研究所の竹森健二郎さんの「部落史観は転換したか」、東日本からは長野の信州農村開発史研究所の斎藤洋一さんの「信濃国の近世部落史研究の成果と課題」と、それぞれの地域に根ざした貴重な報告が収録されています。
上野さんの報告は、『雑学』に連載された「異能者論」の集大成です。竹森さんも最初は「全国各地でこのようなことが行われていたと言いたいわけではありません」と言いながら、斎藤さんに挑発されて「このようなことが全国で行われていたのです」と変化します。この辺の詳しい内容は、ぜひとも本書を紐解かれたいと思います。非常におもしろいシンポジウムの実況中継が味わえることを保障します。

B5判 77ページ
頒価 700円

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京都府立城陽高等学校編講演集 増補版『新しい部落史の見方・考え方』(在庫なし)

本書は、『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』のサブテキストとしてつくられたものである。城陽高校や京都府立高等学校同和教育研究会の研修での講演録である。10人の講演者が、それぞれ独自の視点で部落史を語る。

もくじ

「部落史の見直しと教育内容の創造」
吉田栄治郎さん(奈良県立同和問題関係資料センター)
「ケガレ意識と異能者集団」
上野 茂さん(奈良県三郷町下之庄解放会館館長)
「部落史観の転換と解放への展望」
金井英樹さん(全国在日朝鮮人教育研究協議会事務局長・当時)
「いま、部落史がおもしろい」
渡辺俊雄さん(部落解放・人権研究所)
「部落史がかわる」
上杉 聰さん(関西大学文学部講師)
「部落の歴史をどう学ぶのか」
住本健次さん(福岡県立北九州高等学校・当時)
「被差別部落の歴史」
山本尚友さん(世界人権問題研究センター・当時)
「近代部落問題成立・序説」
小林丈広さん(京都市歴史資料館歴史調査員)
「最近の研究をふまえた部落史学習の視点」
外川正明さん(京都市立永松記念教育センター研究課・当時)
「『渋染一揆再考』-多様な部落史像を求めて-」
藤田孝志さん(岡山県備前市立備前中学校)

A5判 268p

頒価 700(『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』とセットで1000円)

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京都府立城陽高等学校編 『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』改訂版

近年、部落史において、従来の「近世政治起源説」にたいして「部落史の見直し」が奈良・大阪・京都をはじめ、全国で徐々におこなわれつつある。しかし、まだまだ研究者レベルでのもので、具体的にどう生徒に教えればいいのか、現場の教員にとまどいがあることも事実である。また、「部落史の見直し」は、ひとつ「部落の歴史」を見直すにとどまらず、「日本の歴史の見直し」のなかに位置づけられている。そうしたなかで、2002年度から、中学校の歴史教科書の記述も大きく変わろうとしている。
こうした流れの中で、京都府の公立高校では「新しい部落史」の教材化をすすめてきた。そして、その一つの結果といえるものが、本書『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』である。中世の被差別民の起こりからはじまり、近世の被差別民の姿、それをとりまくまわりのまなざし、近・現代における部落差別の社会問題化と部落差別撤廃へむけた闘いの歴史を、A4版に32ページにコンパクトにわかりやすくまとめてある。部落史学習のテキストとして最適の書と言えよう。

A4判 32ページ
頒価300円

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高取昌二著 『同性愛者として coming outの軌跡』

この本には、「多様なセクシュアリティについて考えよう。性教育や人権教育にその視点をとり入れよう」というメッセージがこめられています。
セクシュアリティということばは、まだまだ一般に浸透していません。そこで、はじめてこの問題にふれる人のための概説として、第1部「多様なセクシュアリティを考えるために」を書きました。教科書的な知識ですから、退屈だと思われた方は、第2部から読んでいただいたらと思います。
第2部「coming outの軌跡」は、主に1997年の秋から2000年の春にかけて、僕自身がまわりの人たちにカミングアウトしていく過程で書きためた文章を再構成したものです。自分が同性を好きだと気づいてから、長い時間をかけて、そのことと向き合えるようになっていったこと、文化祭の教職員劇をきっかけに十数人の同僚教員にカミングアウトしたこと、生徒たちへのカミングアウトとその後について、という流れに沿ってまとめました。
第3部「AIDSと同性愛」では、朝日新聞の「論壇」に掲載された文章を材料に、米国での経過や過去の歴史にふれながら、AIDSと男性同性愛の関係について、考えました。
教職員をはじめ、できるだけたくさんの方々にこのメッセージが伝われば幸いです。


カミングアウトとは、自らのあり方と向き合い、それを言語化し、周囲の人に語ることで、人間関係をつくりかえていく作業です。長い準備期間を経て、教職員劇以降、事態は急速に展開しはじめました。そこには、心の奥に閉じこめてきたたものが堰を切ったかのごとく、ふつふつとわきあがる高揚感、もっとわかってほしいという期待、今まで見えていなかった心の深みに向き合わざるを得ないしんどさ、微妙な心の揺れと痛みがありました。ともすれば感情の洪水にのみこまれてしまいそうになりながら、周囲の人に話を聞いてもらい、さらには、ひたすら文章を書くことで踏みとどまっていたように思います。
そんななかで、珠玉のように大切なことどもが心の底にしみこんでいきました。自分のしゃべっている言葉をちゃんと信じることができているという感覚、自分の求めているものは何かをはっきりさせて、自らの手でつかみにいくこと、そしてなにより、人間とは信じるに値するものだという確信。
たくさん書いた文章を読んで温かいコメントをくださったみなさんに支えられて、一冊の本がまとまりました。不十分な点も多々あると思いますが、ひとまずこれが到達点です。まわりで支えてくださったすべてのみなさんに感謝をこめて。

2000年7月10日 高取昌二
「はじめに」より

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黒坂愛衣 福岡安則(コメンテーター) 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART1 部落へ飛び込む」 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART2 出会い、ふれあい、語らい」

福岡安則です。
12月に,ゼミの大学院生の黒坂愛衣さんとの共著(主体は黒坂さん,ぼくはコメンテーター)で『黒坂愛衣の とちぎ発〈部落と人権〉のエスノグラフィ パート1 部落へ飛び込む』『パート2 出会い,ふれあい,語らい』(創土社,各1800円)を出しました。
読んでいただいた方からは,好評をえています。たとえば,こんな感じ。


社会学者の上野千鶴子さん

《ライブ感が伝わってきます。メールの交信記録をまんまフィールドノートにしてしまうという本のつくり方もあるのか,と虚をつかれた思いです。》


解放新聞編集長の笠松明広さん

《いい本がでました。これを読んでもらえば,部落にたいする偏見はなくなるでしょう。》


社会学者の井上俊先生

《読みはじめたらとまらなくなり,翌朝起きられなくて会議に遅刻しました。》


社会学者の細谷昂先生

《福岡さんは,こういう教育実践をしておられるのですか。感動しました。》


部落解放同盟栃木県連の戸田眞さん

《中学生日記みたいだね。晩酌の肴にちょうどいいよ。》


猿舞座座主の村崎修二さん

《激写です。ほめてあげてください。》


社会学者の長谷川公一さん

《新しい言文一致体だね。》


2002年秋より,黒坂愛衣は、部落解放同盟栃木県連合会事務局でアルバイト兼フィールドワークをはじめ,いまなお続行中です。県連での日々の経験を,じぶんの言葉で,日記のように書き綴った「エスノグラフィ」が,指導教官である福岡安則先生との共著のかたちで、このたび,本になりました。

**本書の特徴**


この本について,登場人物たる事務局のひとたちは,「県連の暴露本だ!」と冗談めかして言いますが,それを,戸田眞事務局長はこんなふうに表現しました。

「外側から『部落』を覗いてやろうという,その,覗き心をくすぐるような暴露本じゃあ,ないんだよな。この本で暴露されてんのは,栃木の『部落民』性がどうなってるとか,そういうんじゃなくて,俺らひとりひとり,《個》が暴露されてるんだ」。

この指摘はズバリ当たっていて,この本には,解放運動に参加するなかで出会ったひとびとの具体的な姿が描かれています(これを「暴露」という言葉で表現されるのには,弱ったなあ、と思う)。部落出身のひとも,部落出身でないひとも登場します。

わたしは,ひとりひとりまったく違う,具体的な《個》の姿を知ってもらうことこそ,部落差別をなくす一歩になる,と信じています。

それからもうひとつ、本書の特徴は、フィールドワークの実際――というか「舞台裏」――も、隠さず表に出していることにあります。これは福岡先生の当初からの方針でありました。

県連にアルバイト兼調査の受入れをお願いし、現場に「とびこむ」ところからはじまります。ワケガワカラナイ状況から次第に周囲を理解していき、本にする許可を得るために走り回り、とちゅうで息切れがしてノートを書かなくなったり、書き溜めたフィールドノーツが「訂正、訂正、訂正の嵐」にみまわれたりします。

じぶんのダラシナサを露呈していて、恥ずかしくも思いますが、こうした「舞台裏」がみえることも、本書の魅力であると思っています。

黒坂愛衣さんの自薦文

判型 ページ数 頒価(円) 重さ(g)
PART1 A5判 311p 1800+税 355
PART2 A5判 294p 1800+税 335

黒坂愛衣 福岡安則(コメンテーター) 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART1 部落へ飛び込む」 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART2 出会い、ふれあい、語らい」 はコメントを受け付けていません

京都府立木津高等学校同和部編『胸はって生きる』

私は部落出身ということに対して、いやだと思うんじゃなく、人権学習という勉強を、生徒のみんなでするのがとてもいやでした。その時は、他の生徒の人たちに、自分が部落の出身だとばれたらどうしようという心配があったし、こんな勉強するからみんなが「部落差別」という言葉を知っていくので、いちいちそんなことを教えなくてもいいんじゃないかと思ってました。
また実際にあったことで、人権学習のある前の休み時間に、私は友達に「なんでこんな勉強しやんなあかんねやろなあ、別に関係ないのに」といわれて、何も返事をすることができませんでした。「うん」となんでもないように返事をするとウソになるし、だからといって怒ることもできないし…。
ただ笑ってごまかしていました。
人権学習がはじまってからも、男子たちが、人権学習のプリントを飛行機にしたり丸めて投げているのを見て、ちゃんと読んでほしいと思っても、決して注意することはできませんでした。
今から思うと、すごくはずかしいと思います。しかしその時に、「それは違う」「やめときや真剣に考えさ」といえる人は、少ないように思います。しかし私がその時に思った気持ちは、もう誰にも味わってほしくありません。
だからこそみなさんに、部落問題について、しっかりと考えてほしいと、思うのです。もちろん部落出身の私たちがもっとしっかり勉強していかなければなりません。

しかし、「私は部落じゃないから関係ない」というのではなく、みんなに考えてほしいと思います。

1994年、3年生人権学習感想文


なにげない言葉や行動が、深く人の心を傷つけているということに、気づいたことがありますか。
「次の時間は何や」
「また人権学習らしいで」
「ええっ、もうそんな話はききたないし、授業さぼろか」
「でも、またあとで、担任に怒られるで」
「そやな、しゃあないし、教室にいこか」
こんな会話が、教室でかわされていませんか。この会話の中の「人権学習」という言葉を、「英語」や「数学」や「理科」という言葉に、おきかえてみてください。
そうすると、この会話は、本当に日常的に教室の中で話されているものになります。その延長線上で、「人権学習」の時にも、こういった会話が、よくかわされるわけです。
「英語」や「数学」や「理科」という言葉の場合には、その教科を担当する教員が、少しは傷つくことがあっても、ほとんど問題にはなりません。
しかし、「人権学習」ということになると、それを聞いた部落出身生徒や在日朝鮮人生徒は、とても複雑な気持ちになるのです。
1922年に、全国水平社が結成されて、すでに70余年の歳月がたちました。部落解放運動の長い苦闘の歴史の中で、表だって部落差別を肯定する意見をいう人は、ほんとうに少なくなったと思います。
露骨な差別表現は、目の前から消えたのですが、残念ながら、無意識のうちに人を傷つけたり、無知のために人が傷つくということが、いまだに日常的におこっています。
「私は差別をする気はないし、いままでも差別したことはない」という前に、もう一度自分がしてきたことを、きびしい目で、徹底して見つめなおしてみてください。
そのきっかけとして、本書が役立てればと考えています。

「はじめに」より

A5判 89ページ
頒価 700円

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京都府立八幡高等学校同和部編『自分を好きになるために』

「差別なんて、もうないんとちがうん」「差別なんて、私たちと関係ないわ」「同和学習なんかするから、よけい差別するんとちがうん」といった意見があります。
一方で、「やっぱり、同和学習をしてよかった」「私たちの知らないところで、こんなに苦しんで悩んでいる人たちがいることを知って、よかった」「差別の現実を知って、私たちは、今後、何をしたらいいんだろう」という意見があります。
「差別は見ようとしないものには、見えない」というのが、現実ではないでしょうか。友だちのなにげない言葉に、深く傷つき、悩む姿を、私たちはたくさん見てきました。知らず知らずのうちに差別していたということが、なんと多いことでしょう。
私たちは、自分のまわりにいる被差別部落出身の高校生や、在日韓国・朝鮮人の高校生などのいつわりのない気持ちに耳をかたむける必要があります。
差別の現実を知ることから、差別問題へのアプローチがはじまります。深く知ることにより、より深く考えられるようになるのではないでしょうか。
私たちは、「差別とは、人間がほんとうに人間らしく生きられないこと」であると考えています。さらに、「差別することはみにくいこと」であると自覚し、「自らのみにくさからの解放」を求め、「ステキな生き方」を模索することが、差別問題を考える基本的な姿勢であると考えています。
同和教育のマンネリ化が、多くの人たちから指摘されています。私たちは、同和教育の中にただよう「三つのタ」を追放しようということで同和教育をすすめてきました。「タテマエ」「タテジワ」「タニンゴト」これが「三つのタ」です。
「差別することはよくないことだ」という「タテマエ」は、現在、百人の人間がおれば百人ともが言います。しかし、少し深く話し込むと、その人の「ホンネ」がでてきます。「ホンネ」のところで、差別する心をもった自らの「みにくさ」に気づく必要があります。
「タテジワ」というのは、差別問題を語るときには、眉間にしわをよせて、深刻なふりをする必要があるように思っていることです。差別問題を理解していく過程が、「みにくさ」から自ら解放されていく過程であるとするならば、必然的に「明るく」「楽しい」はずのものです。
差別問題を「タニンゴト」としてしかとらえていない場合が多いようです。差別問題を「ジブンゴト」とせず、親が悪い、教員が悪い、差別している人間が悪い、一人自分だけが、差別していないという考え方です。ここで、もう少し深く考えていただきたいのです。他人をせめている自分自身が、差別の問題を「タニンゴト」とせず、ほんとうに「ジブンゴト」の問題としてとらえきれているのか。自分だけが、世間から隔絶して、「正義の味方」になってしまってはいないか、点検して下さい。
八幡高校で学んだ同和学習の内容を、自らの今後の人生の糧として、日常のささいにみえる事象の中にひそむ差別を敏感に見抜く感性を育てていただきたいと思います。その中で、「差別をしない、許さない」という自らの意識を高め、「ホンネ」で「明るく」「ジブンゴト」として、差別問題に向きあっていける人間になっていただきたいと考えています。
この本は、すべて本校の生徒や教員が書いた文章で構成されています。立派な文章もあれば、言葉が足りないなと思える文章もあります。不充分で、差別的ととらえられるものもあるかと思いますが、個々の生徒や教員の発達の過程を表現したものとしてとらえていただきたいと思います。

「はじめに」より

A5判 101ページ
頒価 700円

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