第31回全外教三重大会フィールドワークのご案内

今回のフィールドワークでは、鈴鹿市に残る朝鮮通信使に縁のある有形無形の文化財を訪れる旅を計画しました。近鉄白子駅から鈴鹿市駅まで路線バスと徒歩の行程です。暑い中ですが、ぜひご参加いただきますようご案内いたします。

【青龍寺の扁額】
白子の青龍寺玄関の間に墨書「體用山」の扁額が掲げられています。體用山とは、青龍寺の山号です。筆跡や落款などにより、筆者が朴徳源であることが確認されています。この書が書かれた経緯や伝来の課程などについては明らかではありませんが、朴徳源は、宝暦14(1764)年の第11次朝鮮通信使の通訳として来日していることから、その時に書かれたものと考えられます。
朝鮮通信使関連の扁額は、東海3県では愛知県で2点、岐阜県で1点見つかっているが、いずれも原本をいったん板に写すか、板に直接書き込みそれを日本の細工師が彫りあげたものであり、肉筆の墨書としては唯一の遺例となります。
【鈴鹿市東玉垣町の唐人踊り】
鈴鹿市東玉垣町の牛頭天王社祭礼に奉納される唐人踊りは古い伝統を持ち、地域の保存会のみなさんの努力で今に伝えられています。1976年には鈴鹿市の無形文化財にも指定されました。この唐人踊りがいつ頃から始まったのかは不明です。保存会の方が地域の年長者から聞き取った話によると、この踊りを伝えたのは江戸へ出て成功した商人だと言われています。江戸で流行っていた唐人踊りの衣装や楽器などをまとめて買い、生まれ故郷の鈴鹿の牛頭天王社に奉納したことからこの踊りが始まったとのことです。唐人踊りは、三重県では他にも津市に伝わっており、全国的に見ても今に残されている朝鮮通信使関係の芸能は数少なく貴重なものです。

【朝鮮通信使行列図染絵胴掛(幔幕)】(県の有形民俗文化財)

唐人踊りが残されている鈴鹿市玉垣町から数キロメートル南にある鈴鹿市白子本町の西町自治会倉庫の中から、1997年、「朝鮮通信使」が描かれた大きな幔幕「幅1.25メートル、長さ10.6メートル)が発見されました。色鮮やかな染め物の幔幕で六〇人ほどの人物が描かれ、ラッパや太鼓の楽器を演奏する様子など、朝鮮通信使の一行の様子が鮮明に描かれています。染色の具合や人物の描き方から江戸時代のものと考えられます。白子は江戸時代、紀州藩の藩領で廻船問屋がつらなり千石船が往来する活気に満ちたところでした。津の分部町や東玉垣の唐人踊りと同様、江戸に出た伊勢商人が朝鮮通信使の華やかさにあこがれ、絵師に描かせて故郷に持ち帰り、お祭りでみんなを楽しませたのではないかと推測されています。


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