京都セミナー講演(2003年3月21日)
社会科教科書における在日韓国・朝鮮人関係記述 −中学校教科書を例にして−
京都大学人文科学研究所 水野直樹
はじめに
外国人労働者にかかわる記述も
中学校の教科書を見ると
断片的な記述
地理教科書に歴史的背景の記述
強制連行に引きつけた記述の問題
公民教科書では
主体的側面の理解を
在日韓国・朝鮮人の戦後史の欠落
おわりに
はじめに
ただいまご紹介いただきました水野です。
まず最初にちょっとだけお願いをしたいと思います。民族学校、アジア系の外国人学校の出身者の国立大学受験資格を求める運動をやっています。お手元に配られているかと思いますが、いろんな形で声があがっておりまして、文部科学省も押され気味と言いますか、方針を再検討せざるを得ないというところにきております。今月いっぱいぐらいが1つのメドです。
私も含めて何人かが呼びかけ人になりまして、国立大学教職員の声明というのをやりまして、3月初めの1週間でだいたい950人くらいの賛同を得て、現在は1200人になっております。ただ、今月27、8日前後がメドなんですけれども、それまでにできるだけ国立大学教職員の賛同を増やしたいと思っています。文部科学省も国立大学に勤めている人間から声があがるということを非常に気にしております。ですから、もちろん皆さん方からの賛同もいただきたいと思うんですけれども、特に国立大学に勤めておられるご友人があれば、この声明の賛同を呼びかけていただければと思っております。
今月に入ってからはこの問題にとりくんでいます。勤め先の方の仕事もやらなければならないわけですが、1年後に国立大学の法人化ということが迫っておりまして、ほんとうにいやなんですが、しかし職務上、法人化についてもやらないといけないことがたくさんあります。そのために、今月はいろいろ忙しくて、今日お話するためにもう1度調べ直して準備をしようと思っていたんですけれども、その余裕がありませんでした。言い訳になりますが、その点についてはご了解をいただきたいと思います。
外国人労働者にかかわる記述も
私は、朝鮮の近代史あるいは日朝関係の研究をしております。高校までの教育現場で歴史の教育あるいは在日韓国・朝鮮人にかかわる教育が、どのように行われているのかということについて、詳しく知っているわけではありませんが、歴史を研究する者として、歴史教育のあり方、それから歴史教科書の問題にも関心をもっております。
2年前、「つくる会」の歴史教科書が問題になりました時も、関西地方の歴史研究者の団体の連合で、ちょうどこの同じ会場でシンポジウム、歴史教科書に関する研究者のシンポジウムを開きました。参加された方は、もちろん研究者だけではありませんけれども、歴史研究者の立場から「つくる会」の教科書などをどのように見るのか、どういう問題点があるのかということを中心に検討するシンポジウムを開きました。
この会場がほとんど満員になったわけなんですけれども、その時の記録を本にしまして、『歴史教科書の可能性』という本をつくりました。今日も販売をしていただいております。そのシンポジウムの時には、歴史の研究者もこれは自分たちの問題でもあるという気持ちから歴史教科書などを点検するということをしたわけですね。
ただ、その時のシンポジウムでも、その後の本においてもできなかったんですけれども、小・中・高の教科書で、在日韓国・朝鮮人、あるいは最近の外国人労働者、ニューカマー、そういう人々の問題について、教科書にどのように記述されているのかということが、大変気になりました。日朝の歴史的関係や在日韓国・朝鮮人にかかわる記述に関しては、もちろんこれまでもそれなりに分析・検討が行われてきたと思うんですけれども、歴史教科書が問題になる場合にも、そういう在日韓国・朝鮮人や、あるいは現在の外国人労働者の問題を視野に入れて、教科書を見直す必要があるのではないかと感じました。
中学校の教科書を見ると
その後、少しずつですけれども、主に中学校の社会科教科書を見まして、どのように記述されているのかを検討してまいりました。歴史、公民、そして地理の教科書ですね。ここには学校の先生がたくさんおられますから、教科書の記述をどう読むのかというのは当たり前だと思われるかもしれませんけれども、やはりきちんと教科書の記述を検討した上で、それを授業で使う、あるいは、それの足らない部分を補うという作業が必要であろうと思っております。そういう点から私なりに調べたことをお話したいと思います。
ただ、教科書の記述がどのように変わってきたのかということも、私には気になっています。10年前、20年前、あるいは30年前の教科書はどうであったのか、その記述の変化、変遷も含めて考えたいと思っているのですけれども、そこまで調べる時間がありませんでした。少し材料は集めているんですけれども、今日の話では現行の社会科の教科書、現在中学校で使われている歴史、公民、地理の教科書の記述をとりあげて、大まかに問題点を考えてみたいと思います。
お配りしておりますレジメには、歴史、公民、地理の教科書でどういうことをとりあげているのか、主に日朝関係、あるいは在日韓国・朝鮮人の現状にかかわる記述がどうなっているかを記しておきました。
大きく言いますと、歴史の教科書では(1)?(10)くらいまでの記述にわけることができると思います。明治維新以降の日朝関係もありますけれども、ここではいちおう日本の植民地支配以降の問題に限っております。(1)併合、(2)植民地支配、(3)日本への移住、(4)三一運動、(5)関東大震災、(6)皇民化政策、(7)創氏改名・神社参拝、(8)強制連行、(9)従軍慰安婦、(10)在日への差別。
20世紀の日朝関係史の流れ、その中での在日朝鮮人の形成にかかわる問題が、いちおうどの会社の教科書でもだいたい押さえられているということができるだろうと思います。ただ、そこでは不十分な点があります。
歴史の教科書でもっとも記述が詳しいのは大阪書籍の教科書です。資料の2枚目に大阪書籍の歴史教科書の1部分をあげておきました。これがその実物ですが、最後の方にこういうふうに見開きで出ているのが、近現代日中・日朝関係年表というものなんですね。中学生が勉強するには少し詳しすぎると思うくらいの記述になっています。これは年表ですから簡単な記述だけで、文章は本文に書かれているんですけれども、年表の事項はかなり詳しいですね。
コピーして配っていただいたのを見て気がついたんですが、日朝の年表で左側に何年と書かれているのですが、そこのところがコピーの加減で写っておりません。申し訳ありません。皆さん、ここに正しい年を書き入れてください。宿題にしておきます。最初は1873年から1番最後は2002年、昨年のワールドカップまで書いてあります。全部正しい答えを書かれた方は非常に歴史の知識がある方です。1度やってみてください。
断片的な記述
そういうふうに、かなり詳しく書いている教科書もあります。しかし、そうは言っても、この大阪書籍の教科書にしても、その他の教科書にしても、やはり記述が断片的であるということが問題であろうと思います。中学校の歴史教科書では、基本的には日本の歴史の流れの中に朝鮮にかかわる記述が挿入されているということになりますから、歴史的な脈絡というものがつかみにくいということが問題だと思いますね。大阪書籍の場合は、その不充分さを補う意味からも、こういう年表をつけていると考えることができますが、他の教科書では、こういうことをしているのはありませんね。本文のところどころに日朝関係が書かれていますから、脈絡が理解しにくいということがあります。
例えばどういう問題があるかと言いますと、関東大震災での虐殺事件の記述というのがあります。すべての教科書に、関東大震災の時に多くの朝鮮人が虐殺されたというような記述があります。「つくる会」の教科書も、ちょっとこれは問題がある記述ではあるんですが、いちおう書いてはいます。だけども、「つくる会」の教科書も、それから他のいくつかの教科書でもそうんなんですが、当時なぜ日本に朝鮮人が住んでいたのかということについては、書いていないものがあるわけですね。
虐殺事件の歴史的な背景を理解するために必要な記述がまったく書かれていない、あるいはかなり前の方のページに記述されているために、虐殺事件の背景にどういうことがあったのかが理解しにくくなっているという問題があります。このように断片的な記述であるという点を、最初に指摘できると思います。
地理教科書に歴史的背景の記述
それから、2番目の問題点として、歴史教科書について言いますと、第1の問題とも関係するわけなんですが、在日韓国・朝鮮人が日本に多く住んでいるということの歴史的な背景を、どのように理解するのかということですね、そこの点がやはり不十分ではないかと思われます。
その点では、歴史の教科書よりも、地理の教科書などの方にきちんとした記述があるように考えられるんですね。地理の教科書からも2、3枚資料をお配りしていますが、後ろの3枚が地理の教科書で、帝国書院、日本文教出版、そして大阪書籍の3種類の地理の教科書からコピーをしました。
帝国書院の場合は、日本と韓国との比較、特に文化的な比較というのをしている。そういうことをしている教科書はかなりたくさんあります。その中で、地理の教科書なんですけれども、歴史についての記述が見られます。右側のページの「これからの関係」について書いている中に、韓国併合のことが少し記されています。その右側の欄外ですけど、囲みの記事で、日本と韓国の関係が、そんなに詳しくはありませんけれども、いちおう歴史の基本的な事実を押さえて記述されているものが見られます。
大阪書籍の地理教科書の場合は、福岡県に近い国との結びつきということで、福岡と韓国とのつながりを記述しているわけですけれども、その中で右側のページの下のあたりに、「1910年、日本は朝鮮半島を植民地とした」こと、そして日本の植民地支配の問題を指摘した後で、現在の日本で在日韓国・朝鮮人に対する就職や入居、参政権などの差別が残り、人権が侵害されている例があることは非常に残念なことですという文章があります。簡単な記述ではあるにしても、むしろ歴史の教科書よりも、在日韓国・朝鮮人の歴史的な背景を理解する上では役に立つ、授業なんかでも使えるような記述がなされているということに、最近地理の教科書を見まして気がついた次第です。
強制連行に引きつけた記述の問題
ただ、現在の在日韓国・朝鮮人の問題を歴史的に考える上で、少しどうかなと考えざるを得ない記述も見られます。それはどういうことかというと、あまりにも強制連行の問題に引けつけすぎた記述のことです。レジメに少し書きましたけれども、在日韓国・朝鮮人の歴史的な背景をどのように記述すればいいのか、なかなかこれは難しい問題です。中学生に理解できるように書くということは難しいかもしれませんが、あまり単純化して強制連行と結びつけて記述しているという例があるんですね。
例えば、帝国書院の公民教科書ですけれども、「在住外国人の多くが、現在日本に住んでいる外国人の多くが、戦時中に我が国に強制連行されてきた人々とその子孫である在日韓国・朝鮮人です」と書かれているわけですね。「強制連行されてきた人々とその子孫」という表現は、やはり歴史的な事実とは食い違う。このようにあまりに強制連行のことに結びつけての記述になってしまうと問題があると感じます。
というのは、在日韓国・朝鮮人の問題と現在の外国人労働者の問題とはどう違うのか、共通する点は何なのか、そのあたりの理解ができなくなるんじゃないかと私は感じております。もうすこし、広い意味で日本の植民地支配の中で多くの朝鮮人が日本に渡ってきた、渡らざるを得なかった、それは必ずしも強制連行ばかりではなかった、ということに気をつけなければならないんじゃないかと思います。
このあたり、教育現場でどのように教えておられるのか、お話いただければと思います。比較的正確な記述と言えるのが教育出版の教科書の記述です。「韓国併合後の移住や戦時中の強制連行によって、日本で生きることになった人々とその子孫が多い」というのが、比較的正確な記述であろうと思います。
歴史的脈絡と問題にかかわっては、このような問題が指摘できると思います。
公民教科書では
それから、公民の教科書なんですけれども、これは、現在の問題、とりわけ人権問題、差別の問題にかかわる記述がなされているわけです。配布資料の5枚目に帝国書院の公民教科書をあげておきました。「現代社会に残る差別」の中で部落差別の問題が記述されていますが、その後に他の差別問題として、2ページを使って在日外国人への差別、それから障害者の問題、HIV、ハンセン氏病などの患者に対する偏見などが記述されています。左側のページには在日韓国・朝鮮人に対する差別の問題がまとまって書かれていますが、これだけ大きくページを割いている教科書はあまりありません。だいたい10行程度の記述があるくらいで、部落問題、女性に対する差別の問題、アイヌの問題を書いた後に、在日韓国・朝鮮人の問題が書かれるというのが1般的ですが、この帝国書院の場合は、特にスペースをとってまとめて書いているのが注目されます。
ここでは、在日韓国・朝鮮人の問題に続けて外国人労働者の問題が書かれている。外国人労働者のことは、また別のところにも書いてあるわけですけれども、外国人労働者の問題と関連づけての記述がなされているということも注目すべきことであろうと思います。
主体的側面の理解を
ただ、公民の教科書の場合、こういうふうにいろいろな差別の問題、人権の問題のひとつとして書かれているんですけれども、私が教科書を見ながら感じたのは、在日韓国・朝鮮人の場合は、どうも主体的な側面とか文化にかかわる問題、そういう面での記述が弱いんじゃないかと思います。例えば、部落差別の問題であれば、歴史的に振り返って水平社の運動があったこと、そういう運動を通じて改善の努力がなされているということが書かれています。それからアイヌに対する差別の問題であれば、例えば国会議員になった萱野茂さんが、アイヌの服装をして国会で演説をしている写真が、教科書にも収められたりしていますね。
ところが、在日韓国・朝鮮人の場合、チマ・チョゴリを着ている生徒の写真があったり、サッカーの大会に朝鮮学校が出場したという記述があったりします。確かにそれも主体的な側面をあらわすものと言っていいかもしれませんけれども、しかし、何となく弱いんじゃないかなと思うんですね。もう少し、在日韓国・朝鮮人の側がさまざまな主体的な運動をしている、文化の面でもいろいろな活動があることをあらわすようなものが教科書でとりあげられないものか、という感じをもっています。
そういう点で言いますと、公民教科書にはあんまりないんですけれども、歴史教科書、あるいは地理教科書ではそういう面が描かれているように思われます。
配布資料の2枚目ですけれども、大阪書籍の歴史教科書の1番最後のページなんですが、「資料にあらわれた歴史を読みとろう」という見開きのページがあります。「グラフの中の歴史」。これはなかなか優れた教材になっていると私は思います。左側のページに戦前から現在まで外国に住んでいる日本人の数が棒グラフで示されている。それからその下には、日本に住んでいる外国人の数が同じようにグラフで示されている。ちょっと読みとりにくいですけれども、どの国に日本人が住んでいるのか、逆にどういう人たちが日本に住んでいるのかということが、歴史的な変遷とともに理解できるようになっている。
右側のページには、在日韓国・朝鮮人が住んでいる地域ということで、大阪のコリアタウンが写真でとりあげられている。これは写真だけなんですけれども、日本の中にこういう形で朝鮮の文化というものが根付いているんだということが示されているわけですね。他にも生野民族文化祭の写真が入っている地理教科書があったりします。資料にはとるのを忘れてしまいました。申し訳ありません。
もちろん中学生は、地理、歴史、公民という順番で習うわけですから、全体的に理解すれば、ああこういう関係になっているんだなということがわかるかもしれませんけれども、しかし、公民の教科書で、差別はいけない、いけないと繰り返し言われるよりも、民族的な文化というものが、日本の中でもこのように存在している、根付いているんだということを示した方がいいんじゃないかと思うんですね。そこのところは、公民教科書だけではなかなかできないという面があるように思われます。
在日韓国・朝鮮人の戦後史の欠落
それから、最後に指摘したいことなんですけれど、在日韓国・朝鮮人の「戦後史」が決定的に欠落しているという問題点をお話しておきたいと思います。
私などが中学校や高校で勉強したのは、もう30年以上前ですから、学校で日朝関係史や在日韓国・朝鮮人の問題について習った覚えが全然ないんですね。それを考えますと、最近の教科書は、かなり記述が豊富になっていますし、充実していると言えると思います。現場でそういう教科書や補充の教材を使って熱心に教えられる先生方がかなりおられる。ということは、在日韓国・朝鮮人のことを理解する上ではよくなってるのかなと思うんですけれども、しかし、在日韓国・朝鮮人にかかわる記述で、私が1番気になるのは、在日韓国・朝鮮人の「戦後史」、現在に至る戦後(解放後)の歴史が欠落しているということなんですね。
これはどの科目を見ましてもそうです。歴史だけではありません。歴史の教科書では、戦前のことはそれなりに記述がなされるようになってきている。ところが、在日韓国・朝鮮人が戦後どのような歴史を歩み、そして現在に至っているかということについての記述が、まったくと言ってもいいほど見られないわけなんです。その点は、やはり、私は、非常に大きな問題だろうと思います。これは、歴史の教科書を執筆しておられる方々とか、学校の先生の責任だけではありません。私も含めて歴史の研究者、もちろん歴史だけではないでしょうけれども、研究者がきちんと在日韓国・朝鮮人の戦後史を研究してこなかったことにも、大きな原因があるだろうと思うんですね。
それにしても、戦後50数年、もう60年近くになるわけですが、半世紀以上にわたる歴史に大きな空白があるということが非常に気になります。このあたりの問題を今後皆さんとともに埋めるような作業ができればと思っております。学校の教育現場ではもちろんそれを埋める努力をしておられると思うんですけれども、そういう点にぜひとも注意を払っていただければと思っております。
おわりに
いろんな会社の教科書を全体的に見ますと、この部分は授業で使えるなあと思える記述や資料が、けっこうたくさんあるわけですね。今日お配りしたのは、授業の中で使えそうなものを選んだつもりです。もちろんまだ間違った記述、問題のある記述も残ってはいますが、かなりいいものがあらわれている。
ですから、中学校にせよ高等学校にせよ、それぞれの先生が歴史だけを教える、公民だけを教える、地理だけを教えるという考えではなくて、いろんな科目の教科書を参考にして授業を進めるというやり方が可能なのではないか、とりわけ在日韓国・朝鮮人の歴史とか現状を教える際には、何か1つの科目にとらわれずにいろいろなかたちで授業を組み立てていただければ、理解が進むのではないか思います。
大まかな話で申し訳ありませんでしたが、私からの問題提起にかえたいと思います。どうもありがとうございました。