全朝教(全外教)への提言
京都パラムの会 安田直人
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<目次>
1、はじめに
2、提言の主旨
 (1)全朝教(全外教)大会での提言
 (2)運営委員会における提言補足
3、提言の理由/根拠
 (1)全体に通じる根本的な問題意識
   @多様化
   A枠組みのゆらぎ
 (2)スローガンの変更
   @本名とは何か
   A名前は戸籍に基づくものか、一つでなければならないか
   B人格権という概念から、自己決定権という概念へ
 (3)方法論
   @「本名を呼び名のる」という方法が獲得した地平
   A積み重ねられてきた報告の質―成功と失敗?
   B「学校」教育から「生涯」あるいは「地域」教育への拡大
 (4)分科会名の変更
4、これまでの主な反対意見
 (1)明確なスローガンなしには運動になりにくい
 (2)「自己決定」原理の持ち込みは、教師のとりくみの質を落とす
 (3)「自己決定」原理が正常に機能するために差別構造を変革することこそが先決



1、はじめに
 安田です。今日は、全朝教への提言ということで、お時間をいただきましてありがとうございます。全国大会の時に、「パラムの会から」ということで報告をしました。これは私にとりましては2回目の報告で、1回目にしました「日本籍朝鮮人」であって「ダブル」である自分の生い立ちを語るということをやめまして、この会を続けてくる中で考えておりますことを全朝教(全外教)全体に提言をするという形の報告にしたわけです。
 今日は、全国大会に出席なさった方もおられると思いますし、また、私の話を何回か聞いてくださった方もおられますので、私の考え方の背後にある生い立ちについては省略させていただいて、もっぱら全朝教(全外教)にいたしました提言の内容を展開して説明をしたいと思います。

2、提言の主旨
(1)全朝教(全外教)大会での提言
 全朝教(全外教)の今年の全国大会での報告の中でした提言の内容は2点ありました。
 第1に、今「本名を呼び名のる」というスローガンがありますけれども、このスローガンを「名前をめぐる自己決定権を守り育てる」という形に変更してもらえないだろうかという提言です。「本名を呼び名のる」というスローガンは、すでに「日本籍はいま」の分科会の中では「民族名を呼び名のる」というふうに変更されておりました。と言いますのは、後でくわしくご説明いたしますけれども、本名イコール民族名ではないということが、「日本籍」あるいは「ダブル」の人間にとっては、当たり前の現実としてあるからです。その「本名を呼び名のる」から「民族名を呼び名のる」というふうに変えて使っておりましたものを、そこに、「自己決定」ということを入れ込んで、もう少し幅を広げて考えることが、今後必要ではないかという提言をしたわけです。
 第2に、そのための方法論の提言をいたしました。それは、私自身の表現で言えば、「叙述的自己表現」ということになります。これは、これも後でくわしく説明いたしますが、既成の枠組みで自分が「在日朝鮮人」である、あるいは「日本人」である、「日本籍朝鮮人」である、「ダブル」であるというふうに、ある既成の枠組みから自分のことを説明するのではなくて、自分の存在全体を言いあらわす中で、その枠組みそのものを豊かにしていくという、そういう方法が一番ふさわしいのではないか。はじめから枠組みを提供するのではないというあり方が必要ではないかということです。

(2)運営委員会における提言補足
 それから、この二つの提言をいたしました後で、全国大会後の運営委員会に出席をさせていただいて、付け加えて、この提言を受けとめていただきたいというお願いと、補足説明をいたしました。その中で、全朝教(全外教)に対して3つ目の提言をさせていただいたと私自身は理解しております。
それは、分科会の名前の変更という提言です。「日本籍はいま」という分科会は、元々1995年にできました。「地域活動」という枠の中で「日本籍朝鮮人問題」という分科会ができ、それが「日本籍朝鮮人問題」に変わり、そして「日本籍はいま」というように変わってきたわけです。
 私自身は、これを、非常に不十分ですけれども、当面のところ、「日本籍・ダブルはいま」というふうに変更することがふさわしいのではないかと思っています。これも後でくわしく説明いたしますが、1点目、2点目の提言について、いろいろな話し合いを重ねておりましたときに、「日本籍」という言葉で理解されている事柄について、齟齬があったということに気づかされたからです。
 「日本籍」という言葉で「日本籍はいま」の司会者団の方々がイメージしていたのは、在日朝鮮人で日本に帰化をして「日本籍」をもっている朝鮮人、それから、「日本籍」であるけれども、自分の出自が朝鮮人であるということを言いあらわしたいと願っている「ダブル」、これも含まれているというふうに理解していたわけです。だから、帰化者であれ、あるいは「ダブル」であれ、日本国籍をもっているけれども朝鮮人であるという出自を明らかにしたいという人たちは、皆、「日本籍朝鮮人」という言葉であらわしてきたと思うんです。けれども、「ダブル」という言葉には、「日本籍」という言葉とは違うニュアンスを持っていることが、ここでは見過ごされていると思います。
 「日本籍朝鮮人」というのは、言ってみれば、帰化をした朝鮮人の中から、自分たちは帰化をして国籍は日本だけれども、アイデンティティは朝鮮にあると主張されて、生まれた言語です。もちろんその中には、「ダブル」の人たちも含まれます。
 けれども、「ダブル」という言葉そのものは、父親か母親かどちらかが日本人であり、朝鮮人であるということですね。あるいは、従来であれば、ハーフ、クォーターというふうに血のパーセンテージでとらえられてきたことが、すべて「ダブル」という言葉で表現できますので、1/4になった人たちも入ってくる。
この「ダブル」という言葉が意味している現実は、国籍を問いません。日本籍であっても、韓国籍であっても朝鮮籍であっても「ダブル」は「ダブル」なんです。この「ダブル」ということに朝鮮人や日本人という枠組みをひっつけようとするのは、非常に難しいことではないか。
 両方を引き受けたい、あるいは、両方を大切にしたいというふうに考えている人間に、どちらかをあてはめるというのは、無謀なことです。それで「日本籍」と「ダブル」というのは、いわば似通った問題をもっているけれども、カテゴリーが違うというふうに考えなければならないのではないか。そこで、「日本籍はいま」というふうにしてきたことによって、韓国籍の「ダブル」の子どもたちは、忘れ去られてきたということがあるのではないか。

3、提言の理由・根拠
 以上が、私の提言の主旨ですが、続いて提言の理由あるいは根拠について、説明をしたいと思います。順序としては、まず「全体に通じる根本的な問題意識」について説明をし、ついで、提言のそれぞれ、「スローガンの変更」、「方法論」、「分科会名の変更」について、説明をすることにります。

(1)全体に通じる根本的な問題意識
@多様化
 第1に、全体に通じる根本的な問題は「多様化」の問題です。この問題には、主に2つの側面があると思います。1つは、「在日」という存在、ここでは「日本籍」も「ダブル」も全部含めて「在日」と言いあらわす以外方法がありませんけれども、「在日」総体の変遷があるということです。そして、もう一つは、法的側面での変化です。
 最近読みました中で最もおもしろかった本は、朴一さんの『<在日>という生き方』という本です。「在日」のアイデンティティ論というのはいろいろな議論がされていて、あらためて今、多様化をどうとらえるかということが問題になっているわけですけれども、その中で朴一さんは、単純にエスニックアイデンティティというものをいくつかの座標軸をもうけて、分析してみせるということをせずに、少していねいに、いろんな説明をしてくれています。
 その中で非常にユニークなのは、第1部の第3章です。ここでは、「帰属への抵抗、在日として生きる意味」というふうに題しまして、1970年以降の「在日」の問題をめぐるアイデンティティの、いわば議論の積み重ねが要約して載せられています。
 それは、「在日」の、帰国ではなく定住ということが明らかになってきた過程の中から始まったさまざまな問題提起が、たとえば「第三の道」という提起、姜尚中さんと梁泰昊さんの間で行われた「事実としての在日」と「方法としての在日」という論争など、ていねいにたどられて、「在日」のアイデンティティのゆらぎがどういうふうに議論されてきたかを明らかにされています。
 その中で、たとえば、国籍こそが最後の砦だというふうに考える、「在日」の存在としての最後の砦だと考える人たち、たとえば姜在彦さんの言葉を引用して、朴一さんは、こう言われています。言葉や生活文化という、民族的な特性を失いつつある「在日」の二世や三世にとって、国籍が最後の民族的な砦となると姜在彦さんは言う。けれども、そういう言葉は、帰化した日本籍のコリアンたちを、民族の離脱者という立場に追いやってしまうんだと。結局、国籍ということに民族のアイデンティティを求めるならば、国籍を持たない、民族に生きる人たちを追いやる立場になって、追いやらない立場ということが、どういうふうにすれば可能かということが残ってくる。そのことが、現在最もあらわになっている問題として、参政権の問題があります。
 そうすると、「在日」の総体ということで考えると、今の現状の中で、「在日」というのはこうだというふうに、いろいろな運動の積み重ねの中で、議論が確定しているわけではないという状況認識が非常に重要です。むしろ今、アイデンティティということをめぐって、活発な議論が起こり始めているところなんです。参政権ということをめぐっては、これからもっと議論を積み重ねていかなければならない。そうであれば、「在日」ということの定義をめぐって、教育の現場では、少し幅の広い考え方を持っておかないと対応できなくなるということを考えておかなければならないのではないかと思います。
 それから法的側面での変化。別の側面の指摘も成り立ちますが、私の関心から最も大きいのは、1985年の国籍法の改定です。お配りした資料の中に、金敬得さんが書いた「民族と国籍」という文章があります。1999年の3月から5月まで9回にわたって『統一日報』に連載されました。その第5回に、「出生による国籍取得と国籍法改正」という文章が載っています。これが、私が読んで一番わかりやすい、まとまった文章なので載せておきました。
 ここで金敬得さんがまとめているのは、こういうことです。「日本の国籍法は、子どもの国籍取得に関し父系血統主義を採用していたが、1985年に父母両系主義に改正した。日本人と在日韓国人・朝鮮人との間に生まれたことにより日本国籍となっている者の数は統計上明らかではないが、1952年から1995年末までの日本人男子と韓国・朝鮮人女子の婚姻申告総数は約10万件となるところ、その夫婦の間に2人の子どもがいると仮定すれば、韓国人・朝鮮人母の血を引く日本国籍の子どもがそれだけで20万人になる」。つまり、それを逆転させれば、倍になるということです。その逆のパターンを入れば。あるいは、こうも言われています。「1985年の国籍法改正以降は在日韓国人・朝鮮人男子と日本人女子との夫婦の間に生まれた子どもも日本国籍を取得することになったが(この場合には、子どもは日韓二重国籍となるが、日本では母親の戸籍及び住民票に記載され、外国人登録はしない)」、つまり日本国籍になるわけです。「その数は1987年から1995年までの九年間で28,876人である(厚生省「人口動態統計」による)」。
 このような国籍法の改正によって何が生じたかと言うと、日本人と韓国・朝鮮人との婚姻件数の漸増ということです。たとえば、かつてですと、父親が韓国人・朝鮮人であって母親が日本人である場合、子どもが韓国籍・朝鮮籍になるということを避けるために、婚姻届を出さずに、母親の籍に入れて日本籍にする。そういうケースがかつてあったわけです。この法改正では、それを心配しなくても、全員が日本国籍になるということが前提とされているので、国際結婚が増えた。どれくらい増えているかというと、1998年の段階では、85%になっています。今後ともその趨勢は続くでしょう。
 帰化者の数は現時点でほぼ、96年以降で1万人を超えるか、あるいはそれを少し下回る程度です。
 国籍法の改正ということと、国際結婚の増大、帰化者の増大は、密接にからみあっていて、非常に単純に考えてみても、「在日」の存在に大きな影響を持ったと言うことができます。ところが、法的な側面ということでは、今まで特に入管外登法の関連で法的地位をめぐって、あるいは外国人登録ということが意味する在日外国人住民の管理の仕方ということをめぐって、議論が続けられてきはしたけれども、それと密接に関連する国籍法については、きちんとした議論がなされてこなかった。
 そのような中で、民族的な事柄やあるいは人権ということに議論が集中している間に、一気に進んだのが、国籍法改定による帰化者の増大と国際結婚の増大に伴う、日本国籍をもった朝鮮の血を引く子どもたちの圧倒的な増加ということなのです。
 今の時点で考えますと、例えば、最近では婚姻件数が8割を越えていますから、出生率の問題がありますので一概には言えませんけれども、みなさんの学校に、2人、韓国・朝鮮の国籍を持った子どもがいれば、そこに見えない形で日本籍をもった朝鮮の血を引いた子どもが8人以上いると考えた方がいいということを意味する。そのことをきちんと考えておかなければならない。つまり、日本式の日本の名前をもって、それが戸籍名であって、日本の国籍しかもってなくて、従来の視点からは見えなくなっている子どもたちが、みなさんの学校の中に1985年ですから、今もう14歳になって、存在している。そのような子どもたちが、これから、圧倒的にそういう子どもたちが増えていくということなんです。

A枠組みのゆらぎ
 私の提言の、根本的な理由はここにあります。その子どもたちをどういうふうに育てるのかということなんです。私自身も、学校の中で見えない存在だったわけです。私が朝鮮の血を引いているということは、学校の先生は誰も知らなかった。
 私の子どもがつい先月生まれたのですけれども、もし私の子どもが学校に行くようになったら、私が言わないと彼女の存在は見えない。それでは、親が言わないと見えないということで、ほっといていいのだろうか。あるいは、逆のことを考えてもいいんです。従来の形のまま進めていけば、その子たちは、もう、どんどん「日本人」だと教師が思っている側に追いやられていくのではないか。
 このことがもたらしている「枠組みのゆらぎ」は、非常に大きいものです。全朝教(全外教)全国大会に出しました報告で、私は、名前をめぐって小さな分析を載せました。不十分で、訂正しなければいけない部分がたくさんありますが、それでも、およそ、9通りです。それが変容していくので、名前だけをめぐっても、ありとあらゆるパターンを考えないと対応できないということがある。
 ところが、驚くべき早さで枠組みがゆらいでいる1985年以降、この15年間のゆらぎを現状把握するということが、全朝教(全外教)の報告では、非常に困難である。言い換えれば、これは驚くべき遅さで現状把握がなされてきた、あるいは、もっと厳しく言うと、とりくみ自身がなされてこなかったということだと言わなければなりません。
 1995年から始まった全朝教(全外教)の「日本籍はいま」という分科会で、毎回教師からでるのは、どのようにしてそのような多様な存在となった子どもを把握したらいいのかという問いです。つまりそれは、把握すること自体に困難があるという教師の主張だということです。それを乗り越える手だてを今のところ見いだせていない。それを何とかして見いだすことができるように、みんなで議論を重ねなければいけない。

(2)スローガンの変更
 さて、ここから、個々の提言の説明に入ります。第1に「スローガンの変更」についてです。「本名を呼び名のる」というスローガンを掲げつづけることによって、圧倒的多数の日本籍をもった朝鮮の子どもたちが見えなくなっていくということを、まず説明したいと思います。

@本名とは何か
 第1に、本名という言葉のもっている、「あいまいさ」ということがあげられます。本名という場合に、誰もが考えるのは、本当の名前ということです。人間の本当の名前、あるいは、法的に考えられると、日本の場合、戸籍上の名前ということになると思います。
 その本名と対置される通名というのも、これもまたあいまいな言葉です。通名というのは、通称名の略称ですけれども、通名とは何かということについては、ていねいな議論が必要です。どうしてかというと、例えば、全国在日コリアン保護者会というところが出した『オモニからの提言』という本ですが、そこに「名前についてはどのようにすればよいでしょうか」という問いと答えが載っています。答えはこういう文章から始まります。「名前が人格の一部であるということは言うまでもありません。しかしながら、在日コリアンの多くは日本社会の中で、民族名を隠すことを余儀なくされています。通名である日本名で在日コリアンの圧倒的多数が生活することを強いられているのです。そこには、日本がかつて植民地支配をした歴史、朝鮮に徴兵制を敷く前段階として創氏改名を実施した歴史が影を落としています」。
 この説明が、はたして本当にリアルに子どもたちに響くかどうか。先ほど紹介した朴一さんの『<在日>という生き方』という本の中に、I市における在日コリアンの実態調査をした時の結果が表になってまとめられています。この中で、「在日コリアンは二つの名前(民族名と日本名)のうちどちらを名のっているか」という表をみますと、「いつも民族名を名のっている」あるいは「ほとんど民族名を名のっている」ということは、年代をおって逆転していくことを知ることができます。29歳以下で民族名を使うという人も少し増えていますけれども、やっぱり日本名を名のるということについては、若い層ほど多い。それで、その理由を見ることができるのが、「在日コリアンが日本名を名のる理由は何か」という表です。そこで、「民族名だと差別を受ける」、あるいは「差別を受けた経験がある」と答えている人たちは、やっぱり、年齢が上なほど大きいんですね。
29歳以下のアンケート対象者が、日本名を名のる理由として圧倒的にあげているのは、生まれたときから使っているからという理由です。生まれたときから使っている名前は、一定の歴史や人間関係を形づくりますし、愛着を育てます。それを、差別の歴史だけと直結して議論することは非常に難しいだろうと、私は思っているんです。これは、ていねいに議論しなければならない課題です。

A名前は戸籍に基づくものか、1つでなければならないか
 さらにあらためて考えてみなければならないのは、名前が戸籍に基づくものかどうかという問いかけです。そして、名前が1つでなければならないというのは、どういう理由によるのかということです。例えば今、日本国籍をもっていても、自分は戸籍制度に反対するという理由で、婚姻届を出さない事実婚をしたり、あるいは、婚姻届を出して新戸籍を編成するけれども、通称名として旧姓を使い続けるという選択をする生き方が増えています。
 そして、そういう生き方の中で子どもが生まれた場合、その子どもに2つの名前をつけるということも、実際に起きてきている。そういう形が、日本と朝鮮の血を引いている場合には十分に考えられるということです。
 パラムの会には、片田孫朝日君というメンバーがいますけれども、彼は片田という父親の姓と、母親が帰化する前に使っていた孫という名前を並べて使っている。名前が一つだという考え方は、彼にはないと思うんです。
 そういう状況があらわれてきているのに、学校では、名前が一つだということが前提とされてしまうと、今の多様な生き方を紹介することができずに終わってしまうのではないか。そうすると、自分の戸籍名は、日本の名前だからずっと日本の名前だ、あるいは、自分の戸籍名は民族名だからそれを名のるべきだという圧力になってあらわれてくるのではないだろうか。
 名前は戸籍に基づくとか一つでなければならないという概念は、少し別の角度から考え直したらいいのではないかと思います。そうすれば、名前によらずに、民族の出自ということを明らかにする道ということに、道を開くことができるのではないかというふうに思います。
 私自身の体験をいうと、私自身は、安田直人いう名前しかもっていませんけれども、今自分では、「安田」という名前に、深く朝鮮に対する思い入れをもった日本人の母親の思いが込められていると、受けとめています。私は、生まれた子どもに、「理路(さとみ)」という名前をつけましたが、その名前にも、私は、私自身の民族の思いを込めました。それは、説明すればわかることです。見てすぐわかるということはありませんけれども、思いを説明すれば、必ずわかってもらえる。
 今の時点で、私は、こういうふうに考えることができていますけれども、かつては、考えることができなかったんです。自分は、民族の名前をもってないから、朝鮮人のグループに入ることができない。そういうふうに考えていたんです。私がとらわれていた、そのような考え方が、これからも続いていくようなことがあれば、日本籍をもった見えない形で増えている1985年以降の圧倒的多数の子どもたちは、自分の出自を明らかにすることができないことへとますます追いやられていくのではないかと思います。

B人格権という概念から、自己決定権という概念へ
 そのことを真剣に考えていく時に、議論として必要になるのは、こういうことなのだと考えています。当初「本名を呼び名のる」ということの中で明らかにされてきた地平は、名前の持つ人格権であった。これは、崔昌華さんが理論化して主張されたことですが、名前というのは、その人固有がもっている人格権だという概念です。この名前は人格権だという主張が、名前が一つだということに結びついたり、あるいは、国籍ということと結びついてしまったことによって、本来広い意味合いを持つはずの名前が人格権だという主張が、狭くなってしまった。
 そこに、自分の名前は、自分で決定するという、自己決定権という概念を加えれば、この名前が人格権であるという主張は、非常に豊かになるのではないかと、私は思います。
 この間、ちょうどパラムの会の時に、東九条の特別養護ホームで働いている人に話をしてもらったのですが、その時におもしろい議論をしました。社会福祉の中では今、一律に老人を扱うということではなくて、個別化と自己決定という概念を導入して対応しようとしているというんです。いろんな批判はあるけれども、それは非常にユニークな方法で、必要なことだと思っていると彼は言いました。そのことと重ねることができる考え方でしょう。
 人格権というのは、全体を包み込むことができる概念ですけれども、一人一人の生き様、生きてきた歴史ということ、それがつまり個別化ということですが、考慮に入れるならば、どうしても自己決定権ということがでてこざるを得ないだろうと思います。

(3)方法論
@「本名を呼び名のる」という方法が獲得した地平
 提言の2点目の、「方法論」にうつります。「本名を呼び名のる」ということが、今まで20年にわたって用いられてきたわけですけれども、この方法が獲得してきた地平というのは、非常に広いと思います。ただし、多様化し枠組みがゆらいでいるという現実の中で、「本名を呼び名のる」ということでは対応できなくなってきている。
 ただし、さっき人格権に個別化という考え方を放り込めば、自己決定がでてくると言いましたが、それと同じことが、実は「本名を呼び名のる」というスローガンの実践の中で、実は、教師と子どもたちの間に成り立ってきたのではないかと思うんです。
 私はその点で、幾人かの先生方の、子どもたちとどういうふうにかかわってこられたかという実例を聞かせていただく機会があって、これは、私にとって、非常によい体験でした。その中で聞いたことは、例えば一人の子どもが本名を名のるということを決心をした。その場合は、彼女の場合は戸籍名である民族名を名のるということですけれども、決心をする。その過程の中で彼女が考えた思いを、先生は聞き取っているわけです。そのときに、彼女のことだけでは終わらない。その子の小さい弟だか妹だか兄弟がいて、そこで、本名で卒業していくということをされたら、自分が困ると言って、反対をする。そうすると、その兄弟の葛藤というのも、先生は聞きとっている。けれども、いろんな話し合いを重ねる中で、親とも対話を重ねて、ついには、その下の兄弟がそれをいいよというふうに受け入れていった。そして、先生が知っているのは、さらに、その子の上の兄弟は、日本名の通称名で卒業していったということです。
 そうすると、一人の生徒が、どういう名前を自分で選択したかということについて、先生が知っている知識というのは、その子が民族名を名のったという事実だけではなくて、そのことを受け入れた兄弟や家族との関係、あるいは、今も名のらないでいる兄弟がいるということ、そういうことを含めた総体なんです。
だから、本名を呼び名のるという方法の中で、教師が実際にとりくんできたのは、一人一人の子どもたちと向き合って、一人一人の子どもたちが抱えている家族関係や兄弟関係などの細かい情報、その中での個別性ということを、きちんと見据えてきたんじゃないか。

A積み重ねられてきた報告の質―成功と失敗?
 ところが、あらためて『これからの在日外国人教育』を読み返して思うのは、積み重ねられてきた報告の質が、非常に大きい獲得した地平をもっているのに、その中のごく一部分の、いわば「成功」した事例、つまり民族名を名のって卒業していった子どもがいる、民族的なとりくみが成功した、クラブが成功した、差別にこういうふうに立ち向かった、そういう事例の報告が積み重ねられてきたのではないかということです。
 私自身は、この「本名を呼び名のる」という方法が獲得した地平の中に、成功と失敗というふうに切りわけられる事例などないと思います。さまざまなとりくみをしてきたけれども、そこでやっぱり日本名を名のるというふうに決意をした子どもたち、あるいは、自分は日本籍で日本の名前しかもっていないけれども、チョゴリを着たいというふうに決意をした子どもたち、そういう子どもたちのことがなぜでてこないのか。
 そこには、「本名を呼び名のる」という方法が獲得した豊かな地平が実際にはあるのに、このスローガンに拘束されてしまって、方法論が矮小化していったという事実があるのではないかと思います。そこで、方法論の拡大が必要となる。自己決定ということを言えば、どうして自分がそう決めたいのかということを言わなければならないわけですから、自己表現ということが重要視されてくるはずです。私の述語では「叙述的自己表現」ということになりますが、枠組みにとらわれずに、自分のしたいこと、自分が生きてきたことを、自分の言葉で言いあらわすということに、方法論を広げていけばよい。

B「学校」教育から「生涯」あるいは「地域」教育への拡大
 本来は「本名を呼び名のる」という方法論は、そういうものを含みもっていたんだと思うんです。それをその通り拡大していけばいいのではないかというのが、私の提言なのです。
 それはまた、一方で、教育というものが、特に、「叙述的自己表現」というのはたえず変わりうるものだということをきちんと踏まえるということを考えておかなければならない。私は今自分の名前のことやら、自分の生い立ちについて語ることができますけれども、来年には語り方が変わっているかもしれない。それは、さまざまな体験を経るからです。そういうふうにして子どもたちは変わっていく。そこで必要なのは、子どもが、自分がどういう存在であるかということを明らかにする作業を、学校だけで担おうとはせずに、もっと、地域や家庭や、あるいは私たちはパラムの会をつくりましたけれども、いろんなコミュニティにゆだねていったらいい。あるいは、相互に連携をとっていくという必要があるだろうと思うんです。

(4)分科会名の変更
 最後の提言の、「分科会名の変更」のことに移ります。もう一度繰り返して言っておきますけれども、「日本籍朝鮮人」という言葉がでてきたのは、「民族名を取り戻す会」の活動の中からです。そこで言われたのは、帰化した在日朝鮮人もまた在日朝鮮人であるという在日朝鮮人の枠の拡大という主張です。つまり国籍によらない、民族的なアイデンティティはあり得るという主張です。けれども、その中で、年が上の世代あるいは、その人の体験にもよるのだと思いますが、たとえば尹照子さんは日本籍で「ダブル」ですけれども、彼女は、「日本籍朝鮮人」だという名称を自分で名のっています。それは、彼女の選択ですから、自己主張としてはあり得ると思います。
 けれども、それより年代が下がってくると、「ダブル」というのは、国籍の問題ではなくて、朝鮮と日本の両方の血を受け継いでいるというふうに考えた方がよくなってくると、私は思います。「ダブル」というのは、在日という枠組みの中で、日本籍もあり得るし、韓国籍もあり得るし、朝鮮籍もあり得る。あるいは、全朝教から全外教へという変化から考えるならば、もっと広げて、いろんなことが考えられるはずです。「ダブル」というのは、そういう国籍と民族の問題を越える考え方をもっている概念です。

4、これまでの主な反対意見
 私が、何年かにわたって、お話をしたりしてきまして、全朝教で呼んでいただいたり、あるいは、教師の研修会に呼んでいただいたりして、話をしてまいりまして、これまで私が言ってまいりました意見に対する主な反対意見というものが、3つあります。その反対意見に対する反対意見を、きちんとしておこうと思います。

(1)明確なスローガンなしには運動になりにくい
 第1にとりあげたいのは、「本名を呼び名のる」というスローガンに対する変更を主張したことに対する反対意見で、「明確なスローガンなしに運動になりにくい」というものです。安田が言っている内容はよくわかるけれども、運動のスローガンにはできないというわけです。
 この意見は、一見非常によくわかる感じがしますけれども、つきつめて考えると、わかりづらい。なぜかというと、スローガンがもってきた意味や、このスローガンを方法論として活用して切り開いてきた地平というものをもう一度問い直してみる、その質を確かめてみるということが必要だということでは、一致できているわけです。
 その上で、最初から考えてみるならば、スローガンから運動が生まれてきたわけではないんですね。教師と子どもたちの生のぶつかりあいの中で、子どもたちが抱えている現実に気づいて教師のとりくみが生まれた。そこからスローガンがでてきたわけです。だから、この反対意見は、まったく論理の転倒なんですね。そういう転倒に気付かずに、明確なスローガンなしには運動が成り立たないというのであれば、そうまでして保持されなければならない運動とは何かということを真剣に考えなければいけないのではないか。むしろ、そのような運動であれば、一度壊したらいいとさえ、私は思います。

(2)「自己決定」原理の持ち込みは、教師のとりくみの質を落とす
 第2にとりあげたいのは、「自己決定」という原理を急速に持ち込めば、教師のとりくみの質を落とすという反対意見です。これは、さまざまなところで、いろいろな方から聞かされた反対意見です。これはこういうことです。たとえば、非常にわかりやすく、戸籍名として民族名をもっていて、差別されるのがいやで、通称名としての日本名を使っているという子どもが一人ここにいるとします。そこで、自己決定という概念を持ち込めば、その子が自分は通称名としての日本名で生きていくんだということを決定したときに、それも自己決定だということになる、というわけです。その自己決定を「強要」している日本の社会も、あるいは、その子がどういう思いで通称名で生きているかということも、なにも問われずに、自己決定という名のもとに、全部を許容してしまうことができるというわけですね。そういうふうにして教師のとりくみが後退していくだろうということです。
 この反対意見については、逆に考えてみたらいいと思うんです。もし、本当にその子が、自分で悩んで自分で考えるという自己決定ということをしない、そういう形でのとりくみがなされてきたということを考えてみたらいいわけです。そうすると、そこでは、その子が、いろんな情報を与えられて、自分で悩んで自分で考えて自分で決めると、例えばさっき具体的な先生から聞いたお話をしましたけれども、一人の子どもが、通称名の日本名で卒業していく。その下の兄弟が民族名を名のる、そのことをその下の兄弟は、ずっと学校の中で背負っていかなければならない。そういう深く絡みあった自己決定を、一人の子どもがする。家族それぞれも自己決定をするわけです。そういう意味での自己決定なしに、今までのとりくみがなされていたというふうに考えると、どういうふうになるでしょうか。教師の考えるところの「在日」がいて、この子どもが通称名である日本名を名のっているのは、民族差別の結果であって名のれなくて苦しんでいるんだ、これは本名を名のるのが正しいんだと、教師は考える。そこでは子どもの思いも、家族の思いも関係なく、「こうあるべきだ」という形ができあがってしまうのではないだろうか。
 そういうことであるならば、むしろもっとはっきり自己決定という原理を明確にして、とりいれて議論を進めていけば、かえって、教師の今までのとりくみの「質」を問うことができるのではないかと思います。そのことの方が今の時点では重要ではないか。

(3)「自己決定」原理が正常に機能するために差別構造を変革することこそが先決
 最後にとりあげるのは、非常に重要な反対意見です。これは、今はかないませんけれども徹底的に考え抜かなければならない要素を含んでいると私は思っています。この反対意見は、今は、「自己決定」原理が正常に機能していないのだから、自己決定を言うのであれば、きちんと機能するために、先に差別構造を変革しなければならない、つまり、今は自由な選択肢があり得ないんだということです。
 先ほども引用した『オモニからの提言』の中にこういう文章があります。「しかしながら在日コリアンの多くは日本社会の中で民族名を隠すことを余儀なくされています。通名である日本名で、在日コリアンの圧倒的多数は、生活することを強いられているのです」。たぶん、ここで言われている、「在日コリアンの圧倒的多数」という表現自体がすでに違うのではないかと私は思いますけれども、通名である日本名で民族名を隠すことを余儀なくされているという、この考え方。けれども、この意見にこそ、実は本当にきちんと議論をして、とりくみの質を変えていく根本があるのではないかと、私は思っています。この反対意見は、根本的に、差別構造とは何かという問いを提起しているからです。
 もちろん、ありとあらゆる差別事象が今もあるということを、いくつもの例をあげて論じることができます。けれども、実際にかかわっている子どもが、たとえば、民族名を本名としてもって、日本名を通名としてもっている子どものことを考えてみてもいいわけですけれども、その子が、通名を名のっている理由は何だろうか、この『オモニからの提言』が語っているような内容だろうか。そういうふうにだけ言うことはできなくて、もっとていねいに論じる必要があるということを、先ほど朴一さんの本から申しあげました。在日朝鮮人が日本名を名のる理由は何か。若年層に多い答えは、「生まれたときから使っているから」ということです。生まれたときから使っている理由はなぜかとまた問えば、それはつながっていきます。つながっていくけれども、その子のリアリティにはふれないだろうと思います。私の言っている意味が伝わっているでしょうか。つなげるためには、いくつもの作業が必要なんです。
 先日、韓学同と日本人の学生が一緒に活動している、日韓連ですか、大学生たちの集まりに呼んでもらって、話をしました。名前のことについて、私は自分の話をしました。そのときに、韓学同のメンバーが一人、事前の、最初のとっかかりとして、在日韓国人にとって名前とは何かという学習発表をした。それは、日本の植民地支配から始まって、「創氏改名」からつながって、今の通名があるということを説明する文章だったんです。つまり、考え方からすれば、この『オモニからの提言』を歴史的事実を入れて引き延ばしたような文章です。
 その後で、一人の大学生が、自分が民族名を名のるのに至った経過を話しました。それはとてもリアルでした。そして、これは私にとってとても象徴的でしたが、彼女が話をするときに、一言非常におもしろいことを言ったんです。「今、前に学習した学習会でされた話と全然結びつきませんけれども、私、自分の話をします」。彼女は、そう言って、話を始めた。
 繰り返しますが、言っている意味がおわかりになるでしょうか。中・高生の子どもたちが自分の名前で悩む。学校の教師が、韓国併合、創氏改名、そこから始まって、今も在日朝鮮人は通名で苦しんでいますと話す。結びつかないんです、全然。
 そうすると、どういうことになるかというと、差別構造の変革こそが先決だと言うけれども、はたして本当にそうなのだろうかということです。そういうふうにいう人たちの中で、差別構造とは何かという問いが、真剣に考え抜かれているのだろうか。あるいは、差別構造を、本当にリアルなこととして、子どもの現実に即して説明し得ているのだろうか。
 もちろん、差別事象があることはわかっています。けれどもそれが解決すれば、子どもたちが名前を名のるかという問題ではない。重なりあっている部分と、また別の要素と、両方がある。それなのに、ひとくくりにされて、ていねいに議論されないできたのだと思うのです。
 それを解決するために必要なことは、自己決定ということと、叙述的自己表現ということであるというふうに、やはり私は思います。先日、川崎で話をさせてもらったときに、幾人か若い人たちがきてくれました。そこで、「ダブル」の大学生の子どもが一人きていて、彼女が発言をしてくれた。川崎でずっと育ったものだから、今までいろいろな出会いがあった。ところが、東京の大学に通うようになったら、誰も自分の話を聞いてくれないというわけです。自分はいっぱいしゃべりたいことがある。自分について。自分が朝鮮の血を引いていること、でも日本籍をもっていること、自分の名前が日本の名前なんだけれども、朝鮮の血を引いているということをしゃべりたいわけです。でも、しゃべっても、聞き流されちゃうと言うんです。誰も聞いてくれない。
 彼女が、民族名をもっていないというようなことは問題でも何でもないわけです。彼女が、見えない朝鮮人か見える朝鮮人かとか、そんなことも問題ではない。彼女は、きちんと自分の話をすることができるわけです。けれども聞く耳を持つ人がいない。
 もし、聞く耳が育っていけば、名前をもってなくても、国籍をもってなくても、朝鮮の血を引いているということが言える環境ができてくるのではないか。私はそう思います。それで、私は、その子に言ったんですね。「大学の中でつくれないなら、自分の近所で、何人かでもいいから集まりをつくったらいい。あなたのようにしゃべりたいと思っている、あるいは、まだあなたのようにはしゃべることができない若い子がもっとたくさんいるから、しゃべる場をつくってあげたらいい。そして、今度は、あなたが聞く側になったらいい」と。
 この差別構造の変革こそが先決だという意見は、そういう地に足のついたとりくみに対して、有効な反対意見になっていないと私は思います。
 長い時間お聞きいただいてありがとうございました。