下之庄歴史研究会編「部落史観は転換したか -現在と未来を問う-」

部落史に学ぼうとする人たちの必読文献です。部落史については、いまだ教科書にも、貧困・低位性論と悲惨史観が幅をきかせています。そのような見方がいまよりもさらに大勢を占めていた時代から、下之庄歴史研究会は、部落史観の転換を提唱してきました。地元の資料発掘から始まって、それまでの部落史を批判して新たな見方を提示し、その活動はすでに四半世紀を過ぎています。本書は、設立30周年を迎えた自主的民間研究団体が開催したシンポジウムの記録です。奈良県における下之庄歴史研究会の<持続する志>を賞賛したいと思います。
内容は、下之庄歴史研究会の代表である上野茂さんの報告「部落史認識の再構築に向けて」から始まり、西日本からは九州・福岡県人権研究所の竹森健二郎さんの「部落史観は転換したか」、東日本からは長野の信州農村開発史研究所の斎藤洋一さんの「信濃国の近世部落史研究の成果と課題」と、それぞれの地域に根ざした貴重な報告が収録されています。
上野さんの報告は、『雑学』に連載された「異能者論」の集大成です。竹森さんも最初は「全国各地でこのようなことが行われていたと言いたいわけではありません」と言いながら、斎藤さんに挑発されて「このようなことが全国で行われていたのです」と変化します。この辺の詳しい内容は、ぜひとも本書を紐解かれたいと思います。非常におもしろいシンポジウムの実況中継が味わえることを保障します。

B5判 77ページ
頒価 700円

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京都府立城陽高等学校編講演集 増補版『新しい部落史の見方・考え方』(在庫なし)

本書は、『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』のサブテキストとしてつくられたものである。城陽高校や京都府立高等学校同和教育研究会の研修での講演録である。10人の講演者が、それぞれ独自の視点で部落史を語る。

もくじ

「部落史の見直しと教育内容の創造」
吉田栄治郎さん(奈良県立同和問題関係資料センター)
「ケガレ意識と異能者集団」
上野 茂さん(奈良県三郷町下之庄解放会館館長)
「部落史観の転換と解放への展望」
金井英樹さん(全国在日朝鮮人教育研究協議会事務局長・当時)
「いま、部落史がおもしろい」
渡辺俊雄さん(部落解放・人権研究所)
「部落史がかわる」
上杉 聰さん(関西大学文学部講師)
「部落の歴史をどう学ぶのか」
住本健次さん(福岡県立北九州高等学校・当時)
「被差別部落の歴史」
山本尚友さん(世界人権問題研究センター・当時)
「近代部落問題成立・序説」
小林丈広さん(京都市歴史資料館歴史調査員)
「最近の研究をふまえた部落史学習の視点」
外川正明さん(京都市立永松記念教育センター研究課・当時)
「『渋染一揆再考』-多様な部落史像を求めて-」
藤田孝志さん(岡山県備前市立備前中学校)

A5判 268p

頒価 700(『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』とセットで1000円)

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京都府立城陽高等学校編 『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』改訂版

近年、部落史において、従来の「近世政治起源説」にたいして「部落史の見直し」が奈良・大阪・京都をはじめ、全国で徐々におこなわれつつある。しかし、まだまだ研究者レベルでのもので、具体的にどう生徒に教えればいいのか、現場の教員にとまどいがあることも事実である。また、「部落史の見直し」は、ひとつ「部落の歴史」を見直すにとどまらず、「日本の歴史の見直し」のなかに位置づけられている。そうしたなかで、2002年度から、中学校の歴史教科書の記述も大きく変わろうとしている。
こうした流れの中で、京都府の公立高校では「新しい部落史」の教材化をすすめてきた。そして、その一つの結果といえるものが、本書『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』である。中世の被差別民の起こりからはじまり、近世の被差別民の姿、それをとりまくまわりのまなざし、近・現代における部落差別の社会問題化と部落差別撤廃へむけた闘いの歴史を、A4版に32ページにコンパクトにわかりやすくまとめてある。部落史学習のテキストとして最適の書と言えよう。

A4判 32ページ
頒価300円

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高取昌二著 『同性愛者として coming outの軌跡』

この本には、「多様なセクシュアリティについて考えよう。性教育や人権教育にその視点をとり入れよう」というメッセージがこめられています。
セクシュアリティということばは、まだまだ一般に浸透していません。そこで、はじめてこの問題にふれる人のための概説として、第1部「多様なセクシュアリティを考えるために」を書きました。教科書的な知識ですから、退屈だと思われた方は、第2部から読んでいただいたらと思います。
第2部「coming outの軌跡」は、主に1997年の秋から2000年の春にかけて、僕自身がまわりの人たちにカミングアウトしていく過程で書きためた文章を再構成したものです。自分が同性を好きだと気づいてから、長い時間をかけて、そのことと向き合えるようになっていったこと、文化祭の教職員劇をきっかけに十数人の同僚教員にカミングアウトしたこと、生徒たちへのカミングアウトとその後について、という流れに沿ってまとめました。
第3部「AIDSと同性愛」では、朝日新聞の「論壇」に掲載された文章を材料に、米国での経過や過去の歴史にふれながら、AIDSと男性同性愛の関係について、考えました。
教職員をはじめ、できるだけたくさんの方々にこのメッセージが伝われば幸いです。


カミングアウトとは、自らのあり方と向き合い、それを言語化し、周囲の人に語ることで、人間関係をつくりかえていく作業です。長い準備期間を経て、教職員劇以降、事態は急速に展開しはじめました。そこには、心の奥に閉じこめてきたたものが堰を切ったかのごとく、ふつふつとわきあがる高揚感、もっとわかってほしいという期待、今まで見えていなかった心の深みに向き合わざるを得ないしんどさ、微妙な心の揺れと痛みがありました。ともすれば感情の洪水にのみこまれてしまいそうになりながら、周囲の人に話を聞いてもらい、さらには、ひたすら文章を書くことで踏みとどまっていたように思います。
そんななかで、珠玉のように大切なことどもが心の底にしみこんでいきました。自分のしゃべっている言葉をちゃんと信じることができているという感覚、自分の求めているものは何かをはっきりさせて、自らの手でつかみにいくこと、そしてなにより、人間とは信じるに値するものだという確信。
たくさん書いた文章を読んで温かいコメントをくださったみなさんに支えられて、一冊の本がまとまりました。不十分な点も多々あると思いますが、ひとまずこれが到達点です。まわりで支えてくださったすべてのみなさんに感謝をこめて。

2000年7月10日 高取昌二
「はじめに」より

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黒坂愛衣 福岡安則(コメンテーター) 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART1 部落へ飛び込む」 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART2 出会い、ふれあい、語らい」

福岡安則です。
12月に,ゼミの大学院生の黒坂愛衣さんとの共著(主体は黒坂さん,ぼくはコメンテーター)で『黒坂愛衣の とちぎ発〈部落と人権〉のエスノグラフィ パート1 部落へ飛び込む』『パート2 出会い,ふれあい,語らい』(創土社,各1800円)を出しました。
読んでいただいた方からは,好評をえています。たとえば,こんな感じ。


社会学者の上野千鶴子さん

《ライブ感が伝わってきます。メールの交信記録をまんまフィールドノートにしてしまうという本のつくり方もあるのか,と虚をつかれた思いです。》


解放新聞編集長の笠松明広さん

《いい本がでました。これを読んでもらえば,部落にたいする偏見はなくなるでしょう。》


社会学者の井上俊先生

《読みはじめたらとまらなくなり,翌朝起きられなくて会議に遅刻しました。》


社会学者の細谷昂先生

《福岡さんは,こういう教育実践をしておられるのですか。感動しました。》


部落解放同盟栃木県連の戸田眞さん

《中学生日記みたいだね。晩酌の肴にちょうどいいよ。》


猿舞座座主の村崎修二さん

《激写です。ほめてあげてください。》


社会学者の長谷川公一さん

《新しい言文一致体だね。》


2002年秋より,黒坂愛衣は、部落解放同盟栃木県連合会事務局でアルバイト兼フィールドワークをはじめ,いまなお続行中です。県連での日々の経験を,じぶんの言葉で,日記のように書き綴った「エスノグラフィ」が,指導教官である福岡安則先生との共著のかたちで、このたび,本になりました。

**本書の特徴**


この本について,登場人物たる事務局のひとたちは,「県連の暴露本だ!」と冗談めかして言いますが,それを,戸田眞事務局長はこんなふうに表現しました。

「外側から『部落』を覗いてやろうという,その,覗き心をくすぐるような暴露本じゃあ,ないんだよな。この本で暴露されてんのは,栃木の『部落民』性がどうなってるとか,そういうんじゃなくて,俺らひとりひとり,《個》が暴露されてるんだ」。

この指摘はズバリ当たっていて,この本には,解放運動に参加するなかで出会ったひとびとの具体的な姿が描かれています(これを「暴露」という言葉で表現されるのには,弱ったなあ、と思う)。部落出身のひとも,部落出身でないひとも登場します。

わたしは,ひとりひとりまったく違う,具体的な《個》の姿を知ってもらうことこそ,部落差別をなくす一歩になる,と信じています。

それからもうひとつ、本書の特徴は、フィールドワークの実際――というか「舞台裏」――も、隠さず表に出していることにあります。これは福岡先生の当初からの方針でありました。

県連にアルバイト兼調査の受入れをお願いし、現場に「とびこむ」ところからはじまります。ワケガワカラナイ状況から次第に周囲を理解していき、本にする許可を得るために走り回り、とちゅうで息切れがしてノートを書かなくなったり、書き溜めたフィールドノーツが「訂正、訂正、訂正の嵐」にみまわれたりします。

じぶんのダラシナサを露呈していて、恥ずかしくも思いますが、こうした「舞台裏」がみえることも、本書の魅力であると思っています。

黒坂愛衣さんの自薦文

判型 ページ数 頒価(円) 重さ(g)
PART1 A5判 311p 1800+税 355
PART2 A5判 294p 1800+税 335

黒坂愛衣 福岡安則(コメンテーター) 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART1 部落へ飛び込む」 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART2 出会い、ふれあい、語らい」 はコメントを受け付けていません

京都府立木津高等学校同和部編『胸はって生きる』

私は部落出身ということに対して、いやだと思うんじゃなく、人権学習という勉強を、生徒のみんなでするのがとてもいやでした。その時は、他の生徒の人たちに、自分が部落の出身だとばれたらどうしようという心配があったし、こんな勉強するからみんなが「部落差別」という言葉を知っていくので、いちいちそんなことを教えなくてもいいんじゃないかと思ってました。
また実際にあったことで、人権学習のある前の休み時間に、私は友達に「なんでこんな勉強しやんなあかんねやろなあ、別に関係ないのに」といわれて、何も返事をすることができませんでした。「うん」となんでもないように返事をするとウソになるし、だからといって怒ることもできないし…。
ただ笑ってごまかしていました。
人権学習がはじまってからも、男子たちが、人権学習のプリントを飛行機にしたり丸めて投げているのを見て、ちゃんと読んでほしいと思っても、決して注意することはできませんでした。
今から思うと、すごくはずかしいと思います。しかしその時に、「それは違う」「やめときや真剣に考えさ」といえる人は、少ないように思います。しかし私がその時に思った気持ちは、もう誰にも味わってほしくありません。
だからこそみなさんに、部落問題について、しっかりと考えてほしいと、思うのです。もちろん部落出身の私たちがもっとしっかり勉強していかなければなりません。

しかし、「私は部落じゃないから関係ない」というのではなく、みんなに考えてほしいと思います。

1994年、3年生人権学習感想文


なにげない言葉や行動が、深く人の心を傷つけているということに、気づいたことがありますか。
「次の時間は何や」
「また人権学習らしいで」
「ええっ、もうそんな話はききたないし、授業さぼろか」
「でも、またあとで、担任に怒られるで」
「そやな、しゃあないし、教室にいこか」
こんな会話が、教室でかわされていませんか。この会話の中の「人権学習」という言葉を、「英語」や「数学」や「理科」という言葉に、おきかえてみてください。
そうすると、この会話は、本当に日常的に教室の中で話されているものになります。その延長線上で、「人権学習」の時にも、こういった会話が、よくかわされるわけです。
「英語」や「数学」や「理科」という言葉の場合には、その教科を担当する教員が、少しは傷つくことがあっても、ほとんど問題にはなりません。
しかし、「人権学習」ということになると、それを聞いた部落出身生徒や在日朝鮮人生徒は、とても複雑な気持ちになるのです。
1922年に、全国水平社が結成されて、すでに70余年の歳月がたちました。部落解放運動の長い苦闘の歴史の中で、表だって部落差別を肯定する意見をいう人は、ほんとうに少なくなったと思います。
露骨な差別表現は、目の前から消えたのですが、残念ながら、無意識のうちに人を傷つけたり、無知のために人が傷つくということが、いまだに日常的におこっています。
「私は差別をする気はないし、いままでも差別したことはない」という前に、もう一度自分がしてきたことを、きびしい目で、徹底して見つめなおしてみてください。
そのきっかけとして、本書が役立てればと考えています。

「はじめに」より

A5判 89ページ
頒価 700円

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京都府立八幡高等学校同和部編『自分を好きになるために』

「差別なんて、もうないんとちがうん」「差別なんて、私たちと関係ないわ」「同和学習なんかするから、よけい差別するんとちがうん」といった意見があります。
一方で、「やっぱり、同和学習をしてよかった」「私たちの知らないところで、こんなに苦しんで悩んでいる人たちがいることを知って、よかった」「差別の現実を知って、私たちは、今後、何をしたらいいんだろう」という意見があります。
「差別は見ようとしないものには、見えない」というのが、現実ではないでしょうか。友だちのなにげない言葉に、深く傷つき、悩む姿を、私たちはたくさん見てきました。知らず知らずのうちに差別していたということが、なんと多いことでしょう。
私たちは、自分のまわりにいる被差別部落出身の高校生や、在日韓国・朝鮮人の高校生などのいつわりのない気持ちに耳をかたむける必要があります。
差別の現実を知ることから、差別問題へのアプローチがはじまります。深く知ることにより、より深く考えられるようになるのではないでしょうか。
私たちは、「差別とは、人間がほんとうに人間らしく生きられないこと」であると考えています。さらに、「差別することはみにくいこと」であると自覚し、「自らのみにくさからの解放」を求め、「ステキな生き方」を模索することが、差別問題を考える基本的な姿勢であると考えています。
同和教育のマンネリ化が、多くの人たちから指摘されています。私たちは、同和教育の中にただよう「三つのタ」を追放しようということで同和教育をすすめてきました。「タテマエ」「タテジワ」「タニンゴト」これが「三つのタ」です。
「差別することはよくないことだ」という「タテマエ」は、現在、百人の人間がおれば百人ともが言います。しかし、少し深く話し込むと、その人の「ホンネ」がでてきます。「ホンネ」のところで、差別する心をもった自らの「みにくさ」に気づく必要があります。
「タテジワ」というのは、差別問題を語るときには、眉間にしわをよせて、深刻なふりをする必要があるように思っていることです。差別問題を理解していく過程が、「みにくさ」から自ら解放されていく過程であるとするならば、必然的に「明るく」「楽しい」はずのものです。
差別問題を「タニンゴト」としてしかとらえていない場合が多いようです。差別問題を「ジブンゴト」とせず、親が悪い、教員が悪い、差別している人間が悪い、一人自分だけが、差別していないという考え方です。ここで、もう少し深く考えていただきたいのです。他人をせめている自分自身が、差別の問題を「タニンゴト」とせず、ほんとうに「ジブンゴト」の問題としてとらえきれているのか。自分だけが、世間から隔絶して、「正義の味方」になってしまってはいないか、点検して下さい。
八幡高校で学んだ同和学習の内容を、自らの今後の人生の糧として、日常のささいにみえる事象の中にひそむ差別を敏感に見抜く感性を育てていただきたいと思います。その中で、「差別をしない、許さない」という自らの意識を高め、「ホンネ」で「明るく」「ジブンゴト」として、差別問題に向きあっていける人間になっていただきたいと考えています。
この本は、すべて本校の生徒や教員が書いた文章で構成されています。立派な文章もあれば、言葉が足りないなと思える文章もあります。不充分で、差別的ととらえられるものもあるかと思いますが、個々の生徒や教員の発達の過程を表現したものとしてとらえていただきたいと思います。

「はじめに」より

A5判 101ページ
頒価 700円

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香川県部落史をどう教える会編 『私たちが創る部落史学習 差別解消の主体者を育てるために」(在庫なし)

「どのように部落史学習を組み立てていけばいいのか」。この問いの答えを求めて本書を手にとられたのではないでしょうか。
私たちも最初は,この答えを求めていました。しかし,それは,「近世政治起源説」にかわる新しい知識を求め,新しいマニュアルを求めていたにすぎないことだとわかりました。
研究者はさまざまな説を唱えます。しかし,研究者は答え(マニュアル)を与えてくれません。教える内容は,教員自らがつくらなくてはいけないということです。教員の役割は,研究者の説をわかりやすく子どもたちに伝えることではありません。教育には目的があります。私たちの考える教育の目的は,「差別解消の主体者を育てる」ことです。
従来の部落史学習では,「差別はいけないことだとわかりました」「差別は許してはいけないことだと気づきました」といった感想を,子どもたちは書きました。子どもたちの多くは,差別は自分には直接に関係ないこと,自分がちゃんとしていればいいのだという認識で終わっていました。なぜ許してはいけないのか,なぜなくさなければいけないのかを,主体的に問いかける営みが必要です。
「部落史の見直し」の中で,「ケガレ」の問題が大きくとりあげられるようになりました。「ケガレ」については,内容や意味を理解することよりも,「ケガレ」というフィルターを認識や判断の基準としていたということを問うことが重要であると,私たちは考えています。
つまり,差別の理由を明確にするよりも,さまざまな理由を生み出してまで「差別」をしてきたことを問う必要があるということです。部落民という存在を生み出してきた側の意識こそが問われなければならないのです。
私たちが考える「差別解消」の意味は,自他のもつ差別意識,現実に存在しているあらゆる差別の構図や現象そのものをなくしていくことです。
そこで課題になってくるのは,「差別」をどうとらえているのかということです。また,教員自らが部落史から何を学ぶかという視点です。
本書をつくる際に,「こう教えたらいい」という教育技術として受けとめられるのではないか,教員の姿勢を問いなおすことなく,単にマニュアルとして受けとめられるのではないかという危惧がありました。単に「こうすれば,部落史の授業ができる」ということで,本書を読んでもらいたくはないのです。
「なぜ部落史を学ぶのか」という問いを,教科書記述が変わったからという消極的な理由で,単なる知識の見直しに置きかえられたくないのです。中途半端な知識の聞きかじりで,「部落史の見直し」を語れば,新たな偏見や誤解を生みかねません。まず,私たち一人ひとりが,「差別」をどのように認識するのかを,自分自身に問いかけるべきであると考えています。
教育改革の流れの中で,「知識」から「思考・判断力」「関心・態度」に重心が動いてきています。部落史学習に関しても同じではないでしょうか。今までは,部落差別に対する正しい認識を育てるということに主眼を置いてきたことから,確かに知識は身についてきました。しかし,そのことと部落差別解消とは直接に結びつきませんでした。
部落史学習は,物知りをつくることが目的ではなく,差別解消に向けての「意欲・態度」を育てていくことが目的ではなかったでしょうか。知識を持つことは決して否定されるべきことではありません。知識は武器です。武器であるからには,その使い方が重要になります。その使い方が「思考・判断力」ではないでしょうか。
今まで教員自らが知識のみを求めていなかったでしょうか。「厳しい差別を受けてきた」という言葉があります。この「厳しい差別」とは何か。「厳しくない差別」はあるのか。当時の人々が「厳しい」と捉えた差別とは一体何なのか。子どもたちに「厳しい差別」を知識として教えて何が生まれるのか。そういう問い返しもなく,知識として得た「厳しい差別」という言葉を,何の疑問も持たず使い,教えてきていなかったでしょうか。
そういった姿勢だったからこそ,知識を求め,マニュアルを求めてきたのではないでしょうか。
本書のそれぞれの原稿は,執筆者自らが,「差別」をどう認識するかを問いかけた結果から生まれました。
本書を土台に,もっと議論を進めていってください。そして,同じ思いをもつ各地のなかまとつながっていきたいと思います。

「はじめに」より

第1章・第2章・第3章で中世から近世にかけての部落史の概説をおこなっている。なかでも、筆者・藤田孝志さんが現在もっとも精力を傾けて研究をされている「渋染一揆」にかかわる記述は、私たちがいままで知っていた被差別民の姿を大きく変えてくれる。
第4章以降は、香川県における小学校・中学校での授業実践記録である。学習指導案も掲載されており、具体的に授業をしていくうえで、多くのヒントを与えられることと思う。

A4判 151ページ
頒価 1200円

香川県部落史をどう教える会編 『私たちが創る部落史学習 差別解消の主体者を育てるために」(在庫なし) はコメントを受け付けていません

音楽テープやその他の教材

音楽テープ

『私はひまわり』 2,000円

その他教材

楽器(チャンゴ・プク・チン・ケンガリ・ソゴ)
衣装(パジチョゴリ・チマチョゴリなど)
おもちゃ(パンペヨン・ペンイ・チェギチャギなど)

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コリアン文化にふれる -遊び・プチェチュム・チャンゴ・サムルノリ-

遊び編

古くから朝鮮半島に伝わる代表的な遊び、ユンノリ、チャンギ、ペンイを楽しく紹介するビデオです。
ユンノリは、ユッと呼ばれる4本の棒がサイコロの役割をする、スゴロクに少し似た遊び。知恵を働かせれば、大逆転も可能なワクワクする遊びです。チャンギは将棋のこと。でも日本の将棋とルールが違い、別のおもしろさがきっと発見できます。ペンイとはコマのことで、打ち棒でたたいてまわします。
朝鮮半島の遊びを通じて、コリアン文化にぜひ、ふれてみてください。


プチェチュム編

プチェチュムはその華やかさで人気のある舞踊のひとつです。
今回はソロの踊りを中心に、基礎からていねいに解説。この1本で充分に1曲をマスターすることができます。またソロの踊りを応用した形で群舞も紹介。プチェでつくる美しい波や花のテクニックも解説しています。そして、何よりも、「グループ黎明」のメンバーが舞う可憐なプチェチュムは、見る人に感動を与えます。


チャンゴ編

子どもたちにも人気の高い打楽器、チャンゴ。韓国でも注目されている閔栄治(グループ黎明)の実演で、解説しています。チャンゴの説明、置き方、ヨルチェ、クングルチェの持ち方から、チャンダンと呼ばれる基本的なリズムまで紹介。しかもすばらしい演奏も楽しめるように構成されています。子どもたちに、チャンゴにふれてみたい、たたいてみたいと思わせるビデオです。


サムルノリ編

サムルノリとはチャンゴ、ケンガリ、チン、プクの4つの打楽器で演奏する音楽のことです。4つの打楽器が生み出す、そのリズムは人々を魅了します。このビデオでは、ケンガリ、チン、プクの基本と朝鮮の伝統的なリズムであるチャンダンを通して、サムルノリのいろいろな技術を学ぶことができます。
チャンゴに他の打楽器が加わることのおもしろさ、楽しさ、そして何よりも韓国・朝鮮の音楽のすばらしさを伝える内容です。

価格 4本セット21,000円(1本の場合は6300円)

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